ゲームの醍醐味

ブログ~shun@グンマー極東

ウォーゲーマー像現在過去未来

アドベンドカレンダーに参加させていただきます。

これは「War-Gamers Advent Calendar 2023」の12月7日分です。

現在・過去・未来のウォーゲーマー像について

私が思い込んだウォーゲーマー像というものを

書き綴っていきます。

思いついたことをメモりながら文にしたので

とりとめなくなってるところはすみませんです。

過去編

 

私自身ウォーゲーマーコア世代の1967年生まれ。

twitterやってますと、よく80年代のツイートが流れてきます。

その中にあったのが

80年代初頭は「ひょうきんでなくてはダメ」「ネクラは嫌われる」時代だったと。

そして「ネクラ」「つっぱり」のキーワード。

私自身「ネクラ」と呼ばれるのは嫌でした。

しかし言われますよね

言われると大変ショックでした。

そういう中、ウォーゲーマー諸氏はどうだったでしょうか。

ひょうきん者もいたろうし、ネクラ、つっぱりもいたと思います。

軟式テニス部にいた人もいたろうし、帰宅部も多いと思います。

周りを見ると「ひょうきん」「勉強」「つっぱり」「スポーツ」「マンガ」

これらは我々も少しずつやってたでしょうがさらに

「ウォーゲーム」をやってました。

「ひょうきん」「ネクラ」「つっぱり」はどう見られてたかはわかりますが

ウォーゲーマーはどう見られてたのでしょうか?

ウォーゲーマーは勉強ができる奴らからは一目置かれてた気がします。

奴らが「ソ連の川5つ言える?」に対し

ドニエプル川・・・」なんて言うと

「さすがはウォーゲーマー」と。

「受験が終わったらウォーゲーム教えてくれ」なんて。

ユーミンが「ブリザード♪ブリザード」と歌っても

ウォーゲーマーはすぐに何のことだかわかりましたよね。

いろんな言葉をウォーゲームで覚えました。

ウォーゲーマー、もしウォーゲームやってなかったら

みんな東大に入ってたと思います。

東大にいるウォーゲーマーは世界の支配者になってたと思います。

あとはどうなんでしょう。

なんとなくですが

私がウォーゲームやってることは結構知れ渡ってたので

「戦争が好きな変わったやつ」

という印象があったかと思われます。

今でいえば「今にでもキレそうで近づきたくないタイプ」

に似てるでしょうか。

「ひょうきん」「ネクラ」「つっぱり」の三大カテゴリーに

少数ですが「ウォーゲーマー」のカテゴリを加えたいです。


現在編

ウォーゲーマーであること自体が価値あることだと思います。

ウォーゲーマー・ビーイング戦略。

フリート・ビーイング戦略になんとなく似てるかもしれません。

「何かあったら戦略・作戦・兵站・戦術で解決できるんだ」がエビデンス

ウォーゲームで学んだ「戦い方」を実践するだけで、

世の中で絶対勝てると思い込んでしまいたいです。

自信があるだけではありません。

主人公が負けることがあるのもウォーゲームです。

ルールを重んじ、主人公が負けても仕方なしという潔さがあります。

ウォーゲーマーであるという自信があるが、現実を直視することもできるのがウォーゲーマー。

今平和の世の中では平凡な会社員やってますが

何かあったとき、皆様は「最強」になること必至です!!

ウォーゲーマ、防御も鉄壁だと思います。

「戦線」、これ理解するのに最初苦労しまたよね。

今では自在に使えてます。

仕事でも応用してるのではないでしょうか。

またtwitterなどでオタクが標的にされることがありますが

ウォーゲーマーもかつて標的にされたことがありました。

「中高生が戦争のゲームをしてる!?」なんて。

このようなことが起こることが今でもあるかもしれません。

しかし、ウォーゲーマーはみんな無反応だと思います。

いくら煽られても「自分のゲーム」をするだけ

余程ひどくなってもtwitterやってるウォーゲーマーは鍵をかけるだけでしょう。

煽られてもビクともしないのがウォーゲーマー。

「ウォーゲーマーの拡大」に関しては微妙ですが

ウォーゲーマーが細々と生き残り続けるのは確実です。

 

未来編

ウォーゲーム自体はまだまだ永遠に発展の余地はあると思います。

システムにしろ。

ウォーゲーマー。

ウォーゲーマーほとんどの方が

定年間近に控えてる方が多いでしょう。

「生きてる間にあと何ゲームできるか」と思ったりしますよね。

しかし、無宗教ですが生まれ変わりはあると思ってます。

パットンもそうでした。

だからやりたいゲームをやったり

今の世の中で学べるゲームをやったり

何やっても価値はあると思います。

みなさんも過去も未来も無数の戦争・政治経済の戦いに身を置いてたはずです。

でなければボトゲーマーが重ゲーというレベルのルールブックを簡単に覚え、簡単に操れるはずはありません。

お互い戦ったこともあったかも、また未来あるかもしれません。

平和的にこうして交流していられるのも今の世の中だけかもしれません。